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2009 年4 月20 日

兵法・三十二計

「牙城」という過分の評価をいただきましたが、その実態は「牙城」ではなくて「空城」だったのかもしれません。門を開け放って、城の上で優雅に琴を弾いている孔明の姿を見た仲達は軍を引いたのですが、その時に攻めていれば、その後の孔明はありませんでした。裏の裏の更に裏を読んで猪突猛進で突っ込まれれば、簡単に落城しますよね。「空城」だったのですから。
ま、そんな思惑の延長線上での主観的な評価とご理解ください。で、城門は開放してありましたので、「ぴるぜん」は無傷で残っています。


天馬行空



投稿者:ぴるぜんat 13 :26 | 日記

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